「心静かな祈りの時を過ごす」
大橋 和人
「釈迦※1(しゃか)は初め、断食による苦行によって涅槃※2(ねはん)
に到達しようと修行していたのだが、苦行を続けると、苦行は一種の快感となり、苦行そのものにこだわりを覚えて、静寂な境地には到達できないと悟った。
(そのとき)釈迦はスジャータという少女から、牛乳入りのお粥(かゆ)の布施を受け、これを食して苦行を捨てた。その直後に、偉大な瞬間が訪れた。
・・・ガンジス川の支流のナイランジャー川の畔(ほとり)の菩提樹の木の下において、釈迦は涅槃の境地に到達した」
「釈迦と維摩」三田誠広 作品社
皆様、よくご存知のお話だと思います。「釈迦」とは、「シャカ族の聖者」の意味の言葉の略。「涅槃」とは、思い煩い、欲望からはなれた、絶対的な静寂の状態。理想の境地。 私はこのお話が好きです。
たくさんの解釈があると思いますが・・・
あらゆる思い、欲望、心配から離れ、全くの静寂の世界に入るために、起点となったのは、スジャータという少女から、お布施として頂いた小さな、ごく普通にある牛乳入りのお粥でした。でもそれは、本当においしかった。身体も心も深く癒された。悟りとは、自分の力で得るものでなく、いつもごく普通に身の回りにある「恩寵(おんちょう)・上からの恵み」に「気が付く」ことだ、と。
イエスは言いました。「自分の体の事で、何を食べよう、何を着ようと、思い悩むな。空の鳥を観なさい。種も蒔かず、刈り入れもしない。しかし、天の父は養って下さる、あなたがたには、なおさらのことではないか」。
静かなお祈りは、思い煩いを超えて、私達へのお恵みに気付かせてくれます。
そして、そして静かなこころにして下さいます。