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神父様のお言葉

神父様のお言葉

 

一輪のアーモンドに、主の「ことば」を読み取る
宗教主事 大橋和人
 主の言葉がわたしに臨んだ。
「エレミヤよ、何が見えるか。」
 わたしは答えた。
「アーモンド(原語:シャーケード)の枝が見えます。」
 主はわたしに言われた。
 「あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと
  見張っている(原語:ショーケード)。」  エレミヤ1:11
 
旧約聖書の「エレミヤ書」の1章のエレミヤという若者が、預言者として、神様の言葉を人々に伝えるように、召されたの物語の一節。この中に、預言者とは、現実の生活の中に、また世界の出来事の中に、「神様のことば」を見出すものであることが示されている。一輪の枝や花に、彼は神様の救いの約束を見出した。
 
日常の中に、何気なく過ぎて行く人との出会いや、目に映るものの中に、「ことば」を見出すというのは、余りに繊細過ぎるようだが、私たちにも経験があるのではないだろうか?
 
「預言者」とは、世界の出来事の中にも、日々の生活の中にも、目に見えるものの向こう側にあるものに向けて、「なぜ?」と問い続ける心と、その問いが向かう向こう側の世界に対して、頼る心を持つことだといえる。超越的な能力ではない。
 
エレミヤは、イスラエルの民の国が失われる時を生き抜いた。それに民を備えさせようと預言したが、かえって民から疎まれた。孤独を嫌というほど味わった彼は、生まれなければ良かったと思うほど苦しんだ。
 
しかし、その深い思いの中から彼が受けた「ことば」は、どの様な苦しい時にも、意味を見出す道が残されているというものだった。神様の「ゆるし」と「あわれみ」が必ず訪れるというものだった。